新世言

 新たな国づくりへ

 文明病の根本にあるのは「楽の追及」という願望だろう。
 第一のそれは、安楽の追求である。すなわち「楽をしたい」と言う思い
だ。きつい仕事はやりたくない、面倒な事には関わりたくない・・・・・。
次々に市場に出まわる家電製品は、どれも人間に安楽を与えるために
開発されたものである。
 第二は、快楽の追求である。美味しいものを食べる、よい服を着る、面
白い番組を観る、好きな趣味に興じる・・・・。世に楽しみは多い。そして
快楽願望には際限がない。
 安楽と快楽を追い求めると、なかなか叶えられないことに苛立ち、スト
レスがたまる。健康を損なうようにもなる。長寿村の人々の生活ぶりを
調べればすぐにわかることだ。村人は粗食にして質素、早寝早起きし
て勤労に励み、多くを得ようと思わない。都市に暮らす現代人とはまる
で逆なのだ。
 沖縄県に長寿で有名な、大宜味村(おおぎみそん)がある。そこは県
内市町村の中で村民所得がいちばん低い。なのに筆頭の長寿村なの
は、村民はほぼ自給自足で、自然の恵みに感謝し、食べ過ぎることは
ないからだという。人の体は大昔からそう変わっていないことを、われわ
れは忘れてしまっている。飽食と運動不足は体によくないばかりか、感
性や直観力を衰えさせる。
 都市生活で電力を節減してみて、さほど支障がないことを、震災を機
に多くの人たちが知った。あれは貴重な経験だった。過剰に電力を消費
してまでも「楽」を求めようとすつのは、人の倫理(みち)に反している。
文明生活では、無意識のうちにエネルギーを消費させられている面が
あるから用心したい。水も、食料も同様である。
 日本のエネルギー政策は根底からの見直しが始まった。防災対策も、
災害に強い街づくりも、これからさらに促進される。学校での防災教育
も強化されるであろう。国民の側も意識を高めて、積極的に協力してい
こう。それが新たな国づくりとなる。
 大震災がまたいつ起こるかと、ビクビクする必要はない。「備えあれば
憂いなし」である。この格言を知ってはいても、実行できているかどうか。
 他からの援助がなくても二週間は生きられるよう、食料や水や燃料を
各家庭で備えたい。いざという時にどこえ避難し、どう連絡を取り合うか
を、家族で話し合っておこう。「(災害が)いつ起きても不思議ではない」
と覚悟も定めよう。いざという時に頼るのは直観(直感)である。気づいた
らすぐする「即行」の実践を通して、直観力を磨いておこう。
 そうした物と行動と心の面での備えは、変動の多い現代を生きる上で
の大切なマナーでありモラルである。

            新世言・8月号
                      倫理研究所理事長 丸山 敏秋  


新世言

 よみがえる
「日本の愛唱歌」
           倫理研究所理事長  丸山 敏秋
 
日本人はよく歌をうたう。神話の時代から歌謡があった。高間原(たか
あまはら)を追放されたスサノオノミコトが、出雲の地でヤマタノオロチを
退治したあと、妻(クシナダヒメ)を娶(めと)ったときに詠んだという歌を
『古事記』は伝えている。
   八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
 神に奉納するために奏されるお神楽でうたわれる歌(神楽歌)には
三十七曲があるという。そうした荘重な歌から、恋する人にささやく甘い
歌まで、たくさんの歌を先祖たちは口にしてきた。伝統の和歌も、節をつ
けてうたってこそ、その深い味わいがわかる。
 歌をうたったり聴いていると、心は別の世界へ飛び出していく。
 各地の民謡には、仕事の苦しさをまぎらわせ、作業がはかどるように
うたわれたものが多い。嬉しいときにうたえば、喜びが何倍にもなる。お
目出度い時にうたえば、いよいよ目出度くなる。歌を通して、父が現れ、
母を感じ、旧友たちがよみがえる。
 うたいながら心は、過去にも帰れれば、未来にも翔べるのだ。そうして
現(うつつ)に戻った心には、生きる力が増している。
 うたうには、メロディーがなければならない。たとえ歌詞を忘れても、メ
ロディーさえ思い出せばうたえる。「アアア」でも「ラララ」でも歌になる。
わたしたちの心には、かつて口ずさんだり聴いたりしたメロディーが、ど
れほど潜んでいるだろう。
 筆者の場合、亡き父親の若い頃を懐かしく思い出させてくれる童謡が
ある。それは「ゆりかごのうた」(北原白秋作詞・草川信作曲)だ。幼い
時分に何度もこの歌を聴いた記憶がある。
   ゆりかごのうたを   カナリヤがうたうよ
   ねんねこ  ねんねこ  ねんねこよ
 歌詞は四番まである。素朴なメロディーがなんとも愛(かな)しい。

 

新世言

 「歌」の持つ力

 童謡や唱歌など、人々から愛唱されてきた歌は数多い。世代を超えてうた
い継がれてきた歌も少なくない。そうした日本人の愛唱歌から五十一曲をセ
レクトし、そのメロディーをアレンジ(編曲)したCDが発売された。本誌の発行
元である社団法人倫理研究所の創立六十五周年を記念した事業の一つで
ある。
 そこには「花」も「荒城の月」も「浜千鳥」も「早春賦」も入っている。「故郷」
はもちろんだ。「仰げば尊し」や「母さんの歌」もある。「サンタ・ルチア」はナポ
リ民謡だが、日本人は愛唱してきた。ブラームスやシューベルトの子守歌も
入っている。大半は明治に入ってから戦前までに作詞作曲された歌だ。「思
い出のアルバム」がいちばん新しい。
 すべてが小野崎孝輔先生によるアレンジ作品である。
 使われる楽器は、ピアノ、ハーブ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、フー
ルート、リコーダー、ハーモニカ、ギター、アコーディオンと多種多様。それら
を自在に組み合わせて、品格あるメロディーを編まれた小野崎先生の神業
には感服するほかない。収録も調整も先生の立会いのもとで完成した。
 中高年は歌の題名を見るだけで、もうメロディーがわき出してくるだろう。
若い方々には初めての曲でも、両親や祖父母が愛唱してきた歌として聴い
ていただきたい。なんともいえないぬく温もりが感じられるだろう。
 それらの曲に静かに耳を傾けると、心がどんどん変化していく。震えたり、
落ちついたり、弾んできたり、勇気がわいてきたり・・・・。そして自分の顔が
穏やかになったのがわかる。日頃の憂さなどは吹き飛んでしまう。夫婦喧
嘩を修復する特効薬にもなるだろう。
 東日本大震災の被災者を励ますコンサートや、避難所で歌をプレゼントす
る活動が盛んに行なわれた。大勢の人たちが被災者のふるさとの復興を
祈り、唱歌「故郷」を大声で熱唱したという。
 歴史を背負った歌には力がある。わが歩みこし道や先人たちの歴史が刻
まれている詞(ことば)やメロディーを呼び戻すことで、心は癒され、新しい力
がわいてくる。
 装いも新たによみがえった愛唱歌の数々は、わたしたち日本人ちして生ま
れた喜びを与えてくれる。その喜びが「日本創生」への原動力になることを
信じて疑わない。   

               
              新世言7月号 倫理研究所・理事長 丸山 敏秋   






うれしい事

最近、うれしい事に、新しくおはよう倫理塾に参加くださる方がいらっしゃたり、以前通ってくださっていた方が、また、朝型に生活シフトを変えて参加してくださるようになったり、10年ぶりいやもっとかもしれませんが、ひょっこり参加くださり、会場に明るさを振りまいてくださいます。本当に感激です。
これも、会員の皆様が、いい風を起してくださっているからだと、心より感謝しています。
是非、生活パターンを朝 型にして、日本を盛り上げていこうではありませんか。心よりご参加お待ちしております。  会長 下原直子

新世言

 大震災の復興から日本創生へ
                      
                      倫理研究所理事長  丸山 敏秋
 南北に長く、東西にも幅の広い日本列島には、世界の主な気候や地形
が凝縮している。四季がめぐり、大地は水と緑にあふれ、近海には豊かな
漁礁がいくつもある。明治初期に来日した外国人からは「絵のように美し
い国」と絶賛された。
 だが半面、この列島に暮らす人々は、幾多の自然災害に襲われ、その
都度、助け合いながら乗り越えてきた。そして大自然の神々の怒りを鎮め
るべく、篤く祀ってきた。
 災害に見舞われるたびに、その半面を思い起こすのだが、じきに忘れて
しまう。けれども去る三月十一日に発生した大震災は、忘れることを許さ
ない。なぜなら、超怒級の天災だったのみならず、「原発震災」という人類
史上初の大災害だったからである。
 去る四月三日から福島・宮城・岩手の三県を廻り、被災した会員の方々
と顔を合わせた。放射能漏れに怯える福島では、地震と津波の被害に加
え、深刻な風評被害が広がっている。水産業が盛んな石巻の市街地は、
無残に打ち壊されていた。水没した田んぼには、津波から逃げる途中で波
にのまれた車が何十台も放置されたままだという。地震の二日後に家庭
倫理講演会が予定されていた石巻文化センターの白いモダンな建物が、
瓦礫と異臭の中に痛々しく屹立していた。
 大津波の破壊力は途方もない。風光明媚な三陸海岸を大槌町から南下
した。海辺の町や集落はほぼ壊滅している。頑丈な堤防は打ち砕かれ、
津波は何キロも奥まで押し寄せたという。釜石港では赤い大型タンカーが
岸壁に乗り上げている。大船渡の沿岸地域は瓦礫の山々と化し、粉塵が
無情に巻き上がっていた。襲った波は三十メートルに及ぶ高さだったという。
何度か訪れたことのある陸前高田は、あの美しい松原はもとより、ほぼ何
も無くなっている。信じられない現実を到る処で目の当たりにした。
 いまだ多くの被災者が苦痛を強いられている。復興までの道のりは遠く
険しいが、犠牲者に対する哀悼を重ねつつ、挙国一致の総力を傾けた救
済と、再建のための努力をつづけていかねばならない。この国難を奇貨と
して、日本を力強くよみがえらせねばならない。








新世言

「道」を拓く
 大災害が発生すると、まずは人命を救助する。今回は超巨大な津波に数
万人もの命が奪われたが、自衛隊や消防・警察の獅子奮迅の働きにより、
約二万人が救助されたという。救助と同時に急がれるのは何か。それは、
道路の復旧である。被災地を訪れて、その惨状とは別に、強く印象に残っ
たのが道路の存在だった。
 道がなければ、人も物資も運べない。道路の有無は死活問題なのだ。道
が通じてはじめて、被災地に希望の光が差し込んでくる。
 だが、瓦礫と化した町の中に道を通し、破損した道路を修復するのは容易
でない。陥没や亀裂が無数に生じた東北自動車道は、早急に応急処置を
施すことで、人の移動も大量の物資の運搬も可能になった。被害状況が次々
に報道される陰には、黙々道路復旧に尽瘁した人たちがいたのである。
 震災後ただちに派遣された自衛隊は頼もしかった。非常時に体を張って立
ち向かうのは、男でなくてはできない。気も狂うほど凄惨な初期の状況下で、
彼らは敢然と任務をこなした。時には遺体を背負い、食べ物がない被災者に
は自分の食糧を分け与えたという。
 現地で行き交う若い自衛官たちの凛々しさに、心洗われる思いがした。命
がけで原子炉に放水したレスキュー隊員たちもそうだが、非常事態は男の
本能を目覚めさせる。使命感に生きる彼らを支えたのは、家族の存在であり、
国民の応援だった。大震災は日本国民に、弛みかけていた民族という大家
族の絆を結び直してくれたのだ。
 その絆を基に、日本は創生への道へ踏み出す。防災対策はもちろん、エネ
ルギー施策を含む様々な領域で、未来に道を拓くプランニングが始まってい
る。それをなんとしても成就させねば、犠牲者や被災者に申し訳が立たない。
 個々の生活レベルにおいても、新たな道を敷設しよう。平素より地球の猛
威を畏れかしこみ、お互いの身を守る備えをしておくこともそうだ。備えには
「物」と「行動」と「心」の三種がある(拙著『実践のヒント』参照)。大量消費に
駆り立てられてきた愚かさを戒め、無駄なエネルギー消費を省こう。地球倫
理の理念でもある「共尊共生」の精神を、平素から高めて実践しよう。
 改めるのは創るためである。文明のありかたを根底から見直す秋(とき)が
きた。日本創生のうねりを巻き起こさなくてはならない。

               新世言・6月号 倫理研究所理事長 丸山 敏秋



新世言

       無縁か有縁か
              
              倫理研究所理事長  丸山 敏秋      

 八十代半ばのある男性が、ひっそりと亡くなった。筆者が子供の頃に
可愛がってくれたその人は、生涯独身で、親戚とも縁遠かった。
 退職してからは世を避けるように、趣味のカメラを静かに楽しんでいた。
脳溢血で倒れたまま、小さな居宅で発見されたとき、死後二週間が過ぎ
ていたという。誰に看取られることもなく、一人淋しく冥土に旅立ったと聞
いたときには胸が痛んだ。そうした孤独死が全国で増えつづけていると
いう。
 昨年一月三十一日のNHK番組「無縁社会〜”無縁死、三万二千人の
衝撃〜」の反響は大きかった。取材班はさらに調査を進め、十一月には
同タイトルの本を文芸春秋から出版。今年の二月にも「無縁社会」をテーマ
にした番組が連夜放映された。
 東京都内で百十一歳の男性のミイラ化した遺体が発見され、「消えた
老人」が全国に多数いるとわかったのも昨年のことだ。年金の不正受給
も続々と発覚した。孤独死(無縁死)が年間3万二千人とは、自殺者の
年間総数にほぼ等しい。
 結婚したくない、したくてもできない若者が増加しているという。他人と
の関わりを避け、ひきこもる傾向も依然として強い。このままだと二十年
後には、一人で暮らす単身所帯が、全所帯の三0〜四0%に達すると予
測されている。
 家庭が壊れてしまい、家族がいるのに孤独死に追い込まれたり、遺骨
の引き取り手のないケースが増大するのは憂慮すべきだ。単身者が孤
立しやすい社会が健全なはずはない。
 しかしまた「無縁社会」という不気味な言葉の広がりが、国民の不安を
煽るようでは困る。世の中が冷たいから、と自助努力を怠る人間が増え
るのならば、本末転倒も甚だしい。
 
目に見えないつながりを感じ取る
 
 縁とは、つながり・結びつき・関係性のことである。因果関係がはっき
りわからない結びつき、というニュアンスが強い。
 「君と出会ったのも何かの縁だろう」とか「前世からの縁であなたと結
ばれたに違いない」などとよく言う。縁という言葉を用いると、なんとなく
納得し、安心させられる。
 だから、縁が感じられない人間関係は切れやすい。事が終わればハ
イさようならだ。「金の切れ目が縁の切れ目」とも言う。お互いに縁が感
じられない結婚は、たとえ熱しても冷めやすい。親子や兄弟姉妹の血縁
は非常に強固なつながりのようだが、縁の意識がはぐくまれなければ、
結びつきは弱い。


















  

新世言

       無縁か有縁か
              
              倫理研究所理事長  丸山 敏秋      

 八十代半ばのある男性が、ひっそりと亡くなった。筆者が子供の頃に
可愛がってくれたその人は、生涯独身で、親戚とも縁遠かった。
 退職してからは世を避けるように、趣味のカメラを静かに楽しんでいた。
脳溢血で倒れたまま、小さな居宅で発見されたとき、死後二週間が過ぎ
ていたという。誰に看取られることもなく、一人淋しく冥土に旅立ったと聞
いたときには胸が痛んだ。そうした孤独死が全国で増えつづけていると
いう。
 昨年一月三十一日のNHK番組「無縁社会〜”無縁死、三万二千人の
衝撃〜」の反響は大きかった。取材班はさらに調査を進め、十一月には
同タイトルの本を文芸春秋から出版。今年の二月にも「無縁社会」をテーマ
にした番組が連夜放映された。
 東京都内で百十一歳の男性のミイラ化した遺体が発見され、「消えた
老人」が全国に多数いるとわかったのも昨年のことだ。年金の不正受給
も続々と発覚した。孤独死(無縁死)が年間3万二千人とは、自殺者の
年間総数にほぼ等しい。
 結婚したくない、したくてもできない若者が増加しているという。他人と
の関わりを避け、ひきこもる傾向も依然として強い。このままだと二十年
後には、一人で暮らす単身所帯が、全所帯の三0〜四0%に達すると予
測されている。
 家庭が壊れてしまい、家族がいるのに孤独死に追い込まれたり、遺骨
の引き取り手のないケースが増大するのは憂慮すべきだ。単身者が孤
立しやすい社会が健全なはずはない。
 しかしまた「無縁社会」という不気味な言葉の広がりが、国民の不安を
煽るようでは困る。世の中が冷たいから、と自助努力を怠る人間が増え
るのならば、本末転倒も甚だしい。
 
目に見えないつながりを感じ取る
 
 縁とは、つながり・結びつき・関係性のことである。因果関係がはっき
りわからない結びつき、というニュアンスが強い。
 「君と出会ったのも何かの縁だろう」とか「前世からの縁であなたと結
ばれたに違いない」などとよく言う。縁という言葉を用いると、なんとなく
納得し、安心させられる。
 だから、縁が感じられない人間関係は切れやすい。事が終わればハ
イさようならだ。「金の切れ目が縁の切れ目」とも言う。お互いに縁が感
じられない結婚は、たとえ熱しても冷めやすい。親子や兄弟姉妹の血縁
は非常に強固なつながりのようだが、縁の意識がはぐくまれなければ、
結びつきは弱い。


















  

新世言

 新世言4月号つづき

 縁という見えない結びつきは、意識されてはじめて現実のものとなる。意
識されなければ、無きに等しい。
 実は、人も物も自然も、すべては隠れた次元で一つに結ばれているのだ。
自分が出会う相手とは、とくに強く結ばれている。現代人はその縁を、感じ
取れなくなっているのではないか。縁が切れたり薄れたのではない。意識
化されにくくなっているのである。
 結びつきの有無は、試してみたらすぐわかる。諍いやトラブルが起きたと
きに、相手を責めるのをやめ、自分の心や行動を変えてみる。すると相手が
どう変わるか。きっと変わる。子供が反抗して手に負えないとき、親夫婦が
関係を改善したら、子供の態度がすっかり変わった事例は無数にある。
 なぜ、そういうことが起こるのか。−−自他の強く深いつながり、結びつき
が、厳然と存在しているからである。
 依存心の強い自分中心の人は、そうしたつながりを感じにくい。 「わがま
ま」を捨てることで他者との結びつきが感じられたら、喜びと共に、縁が意識
化される。相手に対する近親感が増し、態度や行動が以前とはおのずと違
ってくる。
 われわれは日々、天地の恵みや多くの人々の働きによって生かされてい
るではないか。たとえ他者との関わりを嫌って避けようと、世の中には見え
ない縁の網が張り巡らされている。日本も世界もけっして「無縁社会」など
ではなく、「有縁社会」なのだ。
 そのことに気づかず、人々の絆が薄れて他人同然となったら、社会は土台
から崩れてしまう。まずは家族や身近な人たちとの有り難い縁を確かめ、しっ
かり結び直そうではないか。
 自分からできることはいくらでもある。元気な挨拶の声かけから始めてはど
うか。「わがまま」を捨てる生き方を学び合う人たちとの縁も、大いに結んでい
きたいものである。

                           新世言 4月号 丸山 敏秋   

新世言

 新世言4月号つづき

 縁という見えない結びつきは、意識されてはじめて現実のものとなる。意
識されなければ、無きに等しい。
 実は、人も物も自然も、すべては隠れた次元で一つに結ばれているのだ。
自分が出会う相手とは、とくに強く結ばれている。現代人はその縁を、感じ
取れなくなっているのではないか。縁が切れたり薄れたのではない。意識
化されにくくなっているのである。
 結びつきの有無は、試してみたらすぐわかる。諍いやトラブルが起きたと
きに、相手を責めるのをやめ、自分の心や行動を変えてみる。すると相手が
どう変わるか。きっと変わる。子供が反抗して手に負えないとき、親夫婦が
関係を改善したら、子供の態度がすっかり変わった事例は無数にある。
 なぜ、そういうことが起こるのか。−−自他の強く深いつながり、結びつき
が、厳然と存在しているからである。
 依存心の強い自分中心の人は、そうしたつながりを感じにくい。 「わがま
ま」を捨てることで他者との結びつきが感じられたら、喜びと共に、縁が意識
化される。相手に対する近親感が増し、態度や行動が以前とはおのずと違
ってくる。
 われわれは日々、天地の恵みや多くの人々の働きによって生かされてい
るではないか。たとえ他者との関わりを嫌って避けようと、世の中には見え
ない縁の網が張り巡らされている。日本も世界もけっして「無縁社会」など
ではなく、「有縁社会」なのだ。
 そのことに気づかず、人々の絆が薄れて他人同然となったら、社会は土台
から崩れてしまう。まずは家族や身近な人たちとの有り難い縁を確かめ、しっ
かり結び直そうではないか。
 自分からできることはいくらでもある。元気な挨拶の声かけから始めてはど
うか。「わがまま」を捨てる生き方を学び合う人たちとの縁も、大いに結んでい
きたいものである。

                           新世言 4月号 丸山 敏秋   


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