新世言 5月号つづき

 苦難をどう受けとめるか
 人は本能的に生きようとする。生きていくには、飲み物食べ物を口
にしなければならない。さらに加えて塩が不可欠である。
 戦国の覇者となった徳川家康でもついに勝てなかった武田信玄が
東海方面へ進出したとき、「塩留め」によって窮地に陥った。武田の領
地は海に面していない。塩が入らなければ領民は塗炭の苦しみを味
わう。その窮状を救うべく信玄に塩を送ったのが、宿敵ではあっても
「義」を重んじる越後の上杉謙信だった。
 それほど生存に欠かせない塩も、過剰に加えたら食べ物の味は損
なわれ、健康を害する。何事にも適量があるのだ。家康の遺訓にもあ
る通り、過ぎてはいけない。不足もいただけない。
 最近では食事の減塩が奨励されているが、これにも程がある。塩分
の摂りすぎは禁物だが、ナトリウム以外のミネラル分もたっぷり含んだ
塩が足りなくなると、細胞の力が弱まって病気の回復が遅れたり、病
気に罹(かか)りやすくなるという。極端に塩分を制限したことで昏睡状
態となって病院に運ばれるケースもあるという。個々の体質や病状に
よって適量は違ってくるが、塩も食べ物も質とバランスが大切である。
 その塩は「からさ」を本領とする。「からさ」が味を引き締め、深みをつ
け、そして邪気も祓(はら)う。神道で塩は清めのために用いられてき
た。大相撲の力士も土俵で塩をまく。砂糖の甘さでは邪気を祓い清め
られそうにない。昔は傷口に塩をすり込んだりもした。痛いほどの「から
さ」が病原菌を寄せ付けず、食べ物を腐敗から守ってくれる。
 塩加減によって食べ物の味はまるで違ってしまうところが面白い。料
理の名人は見事な塩の使い手でもある。
 人生の苦難も、塩に似たはたらきをしている。度重なる苦難は、生き
る力を萎(なえ)えさせる。しかしまた、一つの苦難もない人生は、生き
るに値するであろうか。
 人はただ生きてるだけでは満足できない。自分の向上を願い、生き
甲斐をもって生きたいと希(こいねが)う。そのためには、苦難というハ
ードルを超えながら歩まなくてはならない。一つひとつの苦難を乗り越
えながら、人生は清められ、充実の度を増していく。
 苦難をどう受けとめるかで、人生はまったく違ったものになる。その受
けとめ方が、人生の塩加減といえるだろう。
 「もうどうにでもなれ、やぶれかぶれだ」という投げやりの姿勢では、塩
が効き過ぎて自滅してしまう。苦難を恐れてビクビクしているようでは、
塩の効果が活かせない。
 その時々で苦難の意味を見極め、「有り難い天の警告」だと喜んで受
けとめ、的確に対応する。その加減がわかってきた人を、人生の達人と
呼べるのだろう。

             新世言 5月号  倫理研究所理事長 丸山 敏秋     








 





 
 


新世言   4月号

 血のめぐりをよくしよう
                                  倫理研究所理事長  丸山 敏秋 

 
 北国をのぞけば、寒さはだいぶ和らいできた。この冬もヒートテック
とよばれる新素材の衣類が色々と開発され、ずいぶん売り上げを
伸ばしたらしい。
 しかし寒い屋外ではいくら防寒衣を着込んでも、指先の冷たさはな
かなか防げない。手足の指先から寒気が流れ込み、全身が冷えて
しまう。どうしたらいいか。
 以外に簡単な方法がある。五分か十分ほど、ジョギングや早足で
歩けば、指先までポカポカしてくる。その場で縄跳びをする要領でジ
ャンプをしてもいい。要は、全身運動で血のめぐりを良くすればいい
のだ。寒いとブルブル震えるのも、筋肉を動かして温めるためである。
 昨今の日本は内外に問題を抱えて、ひどく冷え込み、閉塞感に覆
われている。政治の貧困は今に始まったことではないが、国民はあ
きれ果てている。民主と自民の二大政党が互いに競いながら、日本
をよくする対策にしのぎを削るのならば頼もしい。ところが重要な案
件をめぐって各党とも内部で分裂対立し、見解が統一しないために、
いつまでも法案が通らない。
 首相は政権維持ばかりを考え、多くの政治家たちは選挙の票集め
に汲々(きゅきゅう)としているように国民の目には映る。官僚も所属
する省庁の利益を、財界は大企業の利益だけを優先しているので
はないか。国民の末端にまで熱い血がめぐってこないので、海外か
らの冷たい圧力がのしかかったりすると、たちまち凍傷に罹(かか)
ったように国全体の元気がなくなってしまう。
 国内の景気は冷え込んでいるのに、売ることのできない米国債を
大量に買いつづけているのはなぜなのか。外国の経済危機を救う
ために多額の税金を投入し、アジア・アフリカ諸国にはODAという
援助資金をばらまいてきた。無意味とはいえないが、国益を疎かに
してまで外国に貢ごうとする国は日本だけであろう。
 緊縮財政は日本のお家芸のようになってしまった。消費税の増税
はどれほどの効果があるのだろう。過去の例では一時的に税増収
となっても、消費が落ち込んでトータルな財源はマイナスになってし
まった。もっと公共投資に力を入れるような積極財政に転じられない
のか。国民は理解に苦しんでいる。
 まことに血のめぐりが悪い政治ではないか。国民が凍傷に苦しん
でいるのを、見て見ぬふりおしているようで情けない。政治家は一丸
となって、血のめぐりをよくする全身運動の号令を発してほしい。そ
れには、日本という国のあるべきあり方、進むべき針路を明示した
政策を堂々と打ち出すことだ。それなくして政治の信頼回復はあり
得ない。
 国民の側も、無関心を決め込んではいけない。選挙で一票を投じ、
政治に参画する権利と責任を一人ひとりが持っている。政界の動き
が加速化している今日、しかと眼を見開いて、自国の将来を託せる
政治家を選び、政策の適否を判断する良識を養いたい。

 

















新世言 4月号つづき

  堅実な内部の「守り」を
 
冷えは万病のもとだが冬場にだけ冷えるのではない。夏でも
露出した節々{手首や肘や踝(くるぶし)や膝など}から冷気が忍
び込んでくる。クーラーによって冷えることも多い。冷えを防いで
血行をよくするのが健康法の基本である。血液は生命力の象徴
なのだ。
 同様に日々の暮らしにおいても、血のめぐりが悪くなると、苦難
やトラブルが発生する。体の異変が病気であることを知らせてい
るように、苦難やトラブルはわが生活の不自然さをおしえてくれ
る。
どこかに自己中心の「わがまま」があって、血行不順をもたらして
いるのだ。ならば苦難やトラブルを「よし!」と受けとめ、「わがまま」
を矯正する実践に挑めばいい。
 理屈はこのように単純明快である。しかし政治の世界において
も日々の生活においても、実践の成果を上げるのは容易ではな
い。長い間に身についてしまった習慣や因習が邪魔をしてくるか
らだ。その妨害を克服できた国や人だけが、「創生」の喜びを享
受できる。
 困難や苦難をただ嘆いたり、原因を外にばかり求めるのはやめ
にしよう。外と内とは「照応」の関係にある。相互に照らし合い、引
きつけ合っている。いかに外圧が強く、苦境をもたらす要因があろ
うとも、内側が生命力に溢れて充実していれば、大事には至らな
い。逆に内部充実を怠ると、たちまち外因につけ込まれてしまう。
 真の強さは堅実な内部の「守り」から発揮される、と心得たい。
国家の安定も、生活の安寧も、健康の維持も、みな同様である。
災害への備えも忘れてはいないだろうか。いま私たちは、激動の
大転換期を生きていることを、もっと深く自覚すべきである。

                 倫理研究所・理事長  丸山 敏秋

 

 

 


新世言

 新世 3月号

法の基底にある倫理

                    倫理研究所理事長 丸山敏秋

 北海道東部の網走といえば、刑務所を思い浮かべる人が多いだろう。日本
最北端の刑務所(監獄)がこの地に敷設されたのは明治二十三(1890)年
である。千名を超える最初期の受刑者は、札幌方面と結ぶ中央道路建設の
重労働を強いられ、大勢の命が失われた。屯田兵(とんでんへい)が入る前
の北海道開拓史の秘話である。
 オホーツクからの冬の風は身を凍らせる。その過酷な自然条件と凶悪犯が
多いというイメージから、映画「網走番外地」シリーズの舞台となって、この
刑務所は全国に名が知られるようになった。昭和五十九(1984)年には鉄
筋コンクリートの立派な施設が建設された。木造の旧施設は移築され、「博
物館」 網走監獄」として観光客を集めている。
 この博物館の施設を借用して、ある映像作品の撮影が、昨年の十一月末
に行なわれた。本誌の発行元である社団法人倫理研究所の創立者・ 丸山
敏雄(1892〜1951)が生まれてから、今年は120年目となる。その記念事
業として、丸山敏雄の生涯の中でも苦悩の時期を、再現シーンも交えて精細
に描く映像の製作が進行しているのだ。
 丸山敏雄は戦時中に「不敬罪」という理不尽な罪状で検挙され、一年有余も
未決拘留(こうりゅう)された。取調べの際には容赦のない拷問を受けた。仮
釈放されてからは六年半もの長い裁判に臨んだ。そのような苦境を経たから
こそ「純粋倫理」という生活法則が発見されたのだが、それはあまりにも苛酷
な道のりであった。
 博物館 網走監獄での撮影現場に、筆者も監修者として足を運んだ。流氷
ウォッチングでも知られる網走には、初めての訪問である。博物館の鈴木雅
宣理事長やスタッフのご協力を得て、第一回目の撮影は順調に進んだ。
 さらに加えて、事前に申請しておいた実際の網走刑務所の見学も許可され
た。そこには千名以上の受刑者が収容されている。刑期十年未満で、年齢が
二十六歳以上の、犯罪傾向の進んでいる者だという。七十七パーセントが東
京管内からの受刑者で、平均年齢は四十四・七歳、覚醒剤の常習者が半数
近くを占める。ちなみに日本の矯正施設は刑務所だけで六十二もあり、五万
六千名を超える受刑者が収容されている(平成二十二年度・法務年鑑)。  




















 

 


新世言

 新世言 3月号 つづき
法令の根をなす倫理道徳

 法によって裁かれた人たちの事情は千差万別だ。たまたま事件に巻き込
まれたり、故意ではない犯罪を犯してしまったりする場合もある。冤罪事件
もしばしば報道される。検察当局の不祥事が発覚して、司法への信頼が
揺らぐ事件も近年には起きた。
 社会の秩序を守るために法は欠かせない。そして犯罪者の少ない社会を
目指さなくてはならない。他方、秩序の維持には法だけでなく、倫理道徳の
役割が大きいことを忘れてはならない。民族の歴史と伝統に培われた倫理
道徳は、法体系の基盤になっているのだ。
 ところが「法律に触れさえしなければ何をやってもかまわない」という風潮
が蔓延している。間違った考え方である。企業の不祥事が生じるたびに、コ
ンプライアンス(法令遵守)が盛んに説かれてきた。それはもちろん大事なの
だが、法令の根底にあえう倫理道徳が疎かにされるようでは本末転倒である。
 そもそも法は、人の道を説くものではない。人として当然の行為まで、いち
いち法律に定めない。たとえば「困っている人に親切にする」のは倫理道徳の
教えであり、良識である。われわれはふだん、そうした良識に従っているので
ある。
 法律は細々としているようで、抜け道がいくらでもある。犯罪がおこるたびに
新たに法律が増えていくような世の中は健全だとはいえない。なにより求めら
れるのは、倫理道徳を遵守する精神と実行力である。それが社会秩序の土台
となり、犯罪件数も減少させる。
 ただし、旧来の倫理道徳は形骸化し、力を失っている。私どもが普及してい
る「純粋倫理」という生活法則によってこそ、倫理道徳は強化され、血が通うよ
うになる。本来の力を得て、みずみずしくよみがえる。それなくして日本創生の
地盤は築けない。
 網走の寒風にさらされながら、法と倫理の関係を再認識し、倫理運動の使命
を再確認できた。
 極寒の地にも、やがて春がめぐってくる。

                 新世言 3月号 倫理研究所理事長  丸山 敏秋



 


新世言

 新世言 3月号 つづき
法令の根をなす倫理道徳

 法によって裁かれた人たちの事情は千差万別だ。たまたま事件に巻き込
まれたり、故意ではない犯罪を犯してしまったりする場合もある。冤罪事件
もしばしば報道される。検察当局の不祥事が発覚して、司法への信頼が
揺らぐ事件も近年には起きた。
 社会の秩序を守るために法は欠かせない。そして犯罪者の少ない社会を
目指さなくてはならない。他方、秩序の維持には法だけでなく、倫理道徳の
役割が大きいことを忘れてはならない。民族の歴史と伝統に培われた倫理
道徳は、法体系の基盤になっているのだ。
 ところが「法律に触れさえしなければ何をやってもかまわない」という風潮
が蔓延している。間違った考え方である。企業の不祥事が生じるたびに、コ
ンプライアンス(法令遵守)が盛んに説かれてきた。それはもちろん大事なの
だが、法令の根底にあえう倫理道徳が疎かにされるようでは本末転倒である。
 そもそも法は、人の道を説くものではない。人として当然の行為まで、いち
いち法律に定めない。たとえば「困っている人に親切にする」のは倫理道徳の
教えであり、良識である。われわれはふだん、そうした良識に従っているので
ある。
 法律は細々としているようで、抜け道がいくらでもある。犯罪がおこるたびに
新たに法律が増えていくような世の中は健全だとはいえない。なにより求めら
れるのは、倫理道徳を遵守する精神と実行力である。それが社会秩序の土台
となり、犯罪件数も減少させる。
 ただし、旧来の倫理道徳は形骸化し、力を失っている。私どもが普及してい
る「純粋倫理」という生活法則によってこそ、倫理道徳は強化され、血が通うよ
うになる。本来の力を得て、みずみずしくよみがえる。それなくして日本創生の
地盤は築けない。
 網走の寒風にさらされながら、法と倫理の関係を再認識し、倫理運動の使命
を再確認できた。
 極寒の地にも、やがて春がめぐってくる。

                 新世言 3月号 倫理研究所理事長  丸山 敏秋



 


新世言  2月号

あきら めない

          倫理研究所理 丸山 敏秋

 感動は、生きる力である。人はいつも感動を求めている。そして感動を
共有するとき、皆が一つになれる。
 ここ数年の間に、日本人を深く感動させ、熱狂させた出来事が二つあ
った。
 一つは、映画化もされた小惑星探査機「はやぶさ」の帰還である。2003
年五月に宇宙科学研究所が打ち上げて以来、七年もの間、宇宙空間を
なんと六十億キロメートルという壮大な旅をつづけて地上に戻った。しか
も、小惑星イトカワからサンプルを持ち帰るというミッションを果たしての、
堂々たる帰還である。
 2010年6月13日、「はやぶさ」が大気圏に突入するときの様子はイン
ターネットで生中継され、多くの視聴者を集めた。強い光を放って地球を
覆う大気圏に溶けていくその姿は、繰り返し報道されて、日本中が感動
に包まれた。

 その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと

 美智子皇后陛下のこの御歌に、また新たな感動を覚えた。
 
 猛烈な熱に身を焼き溶かせて放つ「はやぶさ」の光は、まことに崇高だ
った。しかも、エンジントラブルという大ピンチを乗り越えての帰還である。
あの光は、決してギブアップしない精神の証でもあった。
 もう一つの出来事は、昨年七月にサッカー日本女子代表「なでしこジャ
パン」が女子ワールドカップの決勝戦を征し、世界一に輝いたことである。
しかも、一度も勝っていないドイツとアメリカを破っての快挙だった。
 当時、東日本大震災の原発事故で漏れ出た放射性物質の影響が深刻
に懸念されていた。津波の被災地の復興も、統一的なプランがなかなか
示されなかった。便乗的な復興増税が懸念され、猛暑の中で節電を強い
られ、国民の鬱積(うっせき)は溜まっていた。そんな中での「なでしこ」の
勝利に、列島は歓喜に包まれた。
 とくにアメリカとの決勝戦は、劣勢にめげない精神力とチームワークが
光っていた。優勝しただけでなく、フェアプレー賞を受賞したのも絶賛に値
する。そして最後まであきらめない姿勢は、国民に感動と勇気をもたらし、
大勢の被災者の励みになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                


新世言

新世言2月号つづき 

 「あ」は感嘆の言葉
 「はやぶさ」と「なでしこ」の感動がいかに大きなものであっても、時が
たつと薄れていく。しかしそれが深い感動であったのなら、思いでは記憶
の底から直ちに甦ってくる。両者に共通する「あきらめない」というメッセ
ージは、われわれの心にしっかりと刻み込まれているにちがいない。
 「あ」と発する心の声を、日々どれくらい聴いているだろう。昨日はどう
だったか。今日は聴いただろうか。
 日本語は「あいうえお」の母音が核になっている。日本語は「あ」から
始まるのだ。「あ」とは感嘆の言葉。物事に感じて口をついて出る声が
「あ」である。
 昨日まで蕾(つぼみ)だった鉢植えの花が朝に開いているにを見たら、
「あ」の声が自然に出てくる。花も咲くときには、「あ」と小さく叫ぶような気
がする。そうした「あ」の波動が共鳴して、心に感動という渦が湧き起こる。
 その「あ」も伸ばして重ねると「あーあ」と悲嘆(ひたん)の声になる。もと
もと大和言葉の「あはれ」は、悲嘆も含む感嘆の言葉だった。形あるもの
はいつか壊れる。物事はいつもうまく運ぶとはかぎらない。人生に悲嘆は
つきものである。たとえ悲嘆の声が出ても、「あきらめない」精神が失わ
れていなかったら、いつしか声は喜びの感動に変わる。
 物事てえものは、うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがある
んです。心配事や悲しいことから、うれしいことが生まれてくるもんですナ。
                          (古今亭志ん生「なめくじ艦隊」)
あたりまえのようなこの言葉が、感動経験の豊富な人であれば、味わい
深く思えるにちがいない。
 「はやぶさ」も「なでしこ」も新たな挑戦にむかっている。わが人生も挑戦
の連続である。感動を糧として、日々を乗り切っていこうではないか。

          新世言2月号
                         倫理研究所理事長 丸山 敏秋

 


新世言

 「ああ、おもしろいな」
                 倫理研究所理事長  丸山 敏秋
 

「近頃はストレスが多くて・・・・」と言う人の顔はみな曇っている。聞かさ
れる人の顔にも曇りが出てしまう。
 ストレスとはもともと、何らかの刺激によって体に生じた歪みの状態を
意味する。つまりホメオスタシス(生体の状態を常に一定に保とうとする
働き)が危うくなった状態で、その歪みが回復するときの反応をストレス
反応という。
 生物は適度なストレスがなければ、環境への適応性を失ってしまう。
ストレスもなくてはならないのだ。けれどもストレスが過剰になると、歪み
がひどくなり、病気になる。そうしたストレスに関する画期的な学説を提
唱したのが、ハンガリー系カナダ人の生理学者ハンス・セリエ(1907〜
82)だった。
 ユニークなアィディアは、ふとしたことから起こるものである。セリエは
十八歳の医学生だった頃、初めての臨床講座で教授について患者を診
て廻ったときに、あることに気づいた。ーー「なんだかどの病気の患者も、
みな同じような症状をしているな・・・・」。
 そういえばそうだ。患者は等しく元気がない。顔色は悪いし、食欲が乏
しい。熱があったり、熱はなくてもだるそうにしている。
 病人だから当たり前だと思うのが普通だが、若きセリエは「なぜそうな
るのだろうか?」と疑問を抱いた。この素朴な疑問がすごい。
 当時の医学では、それぞれの患者の症状を見分けて「あなたは00病
です」と、病気を特定するのが医者の第一の仕事とされていた。今日で
も同じかもしれない。
 やがてセリエはホルモンを研究する生理学者として知識と経験を積む
うちに、若い頃の疑問がよみがえってきた。それが、「どんな刺激によっ
ても引き起こされる共通の反応があるのではないか」という仮説となり、
ストレス学説とし結実していく。




新世言

 1月号 つづき
病の原因は生き方や心の姿勢に

 ストレスを引き起こす刺激(ストレッサー)には、物理的だけでなく、心
理的な刺激が占める割合が大きい。新潟大学大学院医歯学総合研
究所の安保徹教授は、「先進国の多くの病気は無理な生き方や心の
悩みからくるストレスが原因だ」と明言している。そしてストレスのよっ
て起こる反応には、高血糖と低体温が共通しているともいう。
 要は、病気を発症させるマイナスのストレスを起こさないようにすれ
ばいいのだ。であれば、医学的な予防だけでなく、生き方や心の姿勢
を扱う倫理的対応も重要になってくる。心の生活法則である「純粋倫
理」の視点からズバリ言おうーー「あーあ、いやだな」という思いを打
ち消すのである。
 仕事が辛い、人間関係が重苦しい、面倒なことが多い、夢も希望も
ない・・・・「ああ、いやんなっちゃう」。何か面倒な事が起こると、そう思
うように習慣化されている自分にまず気づこう。気づくことが切り替えの
第一歩となる。
 楽な仕事ばかりで、本当にやりがいがあるのか。
 嫌な相手は、自分の鏡ではないのか。
 面倒なことも丹念にやると、喜びを見出(みいだ)せるのを忘れている
のではないか。
夢や希望は外から与えられるもの、と思い込んでいるのではないか。
 そのように、まったく違った角度から考えなおしてみよう。腑に落ちる
ことが見つかれば、実行に移していけばいい。
 さらに、「いやだな」の思いをたちまち打ち消す妙薬のような言葉を処
方しよう。それはーー「ああ、おもしろいな」である。この言葉を口にす
ると、みるみるうちに状況が変わってしまう。
 高杉晋作の辞世の句と伝えられる「おもしろきこともなき世を(に)おも
しろく」ではないが、心の持ち方ひとつでこの世が面白くなったりならな
かったりするのが、まことにおもしろい。                                        
 ストレスを嫌わないようにすよう。先に述べたように、ストレスにも生体
の適応力を高めるプラスのストレスもあるのだ。マイナスのストレスもプ
ラスに転化できる。
 「ストレスが多くて・・・・」と言うとき、自分を高める糧となるストレスが多
くて有り難いと、顔が晴れるようになりたいものである。

           新世言 1月号
                倫理研究所理事長  丸山 敏秋 
    


 







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