新世言

     なぜ私でなくあなたが?

                      倫理研究所理事長  丸山 敏秋

 南米のアンデス文明の系統であるインカ帝国は、十六世紀の前半に、ス
ペイン人のフランシスコ・ピサロが率いるわずか170人足らずの征服者に
よって簡単に滅ぼされてしまった。
 なぜそうなったのか?滅ぼされたのがスペインの側ではなく、どうしてイ
ンカ帝国だったのか?そんな疑問を持つ人は少ない。
 アメリカのジャレド・ダイアモンド教授(カリフォルニア大学ロサンゼルス校
医学部)は、インカ帝国の滅亡も含めて、一万三千年にわたる人類の文明
の発展と衝突の謎を解き明かそうと、『銃・病原菌・鉄』という大著を書いた。
 プロローグ(前書き)によると、今から四十年近くも前に、鳥類の進化を研
究していた著者は、ニューギニアの海岸を歩いていた。そのとき出会った
「ヤリ」という名の政治家と話をしていて、次のような質問を受けたという。
 「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込ん
だが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどな
い。それはなぜだろうか?」
 世界には様々な文明がある。強大な文明もあれば、弱小なために滅ぼさ
れた文明もある。どうしてそうした格差が生じたのか?・・・・「ヤリ」の問いを
こう置き換えて、著者は謎解きに挑んだ。深く真摯に研究すれば、この難問
にも答えを見出せる。文明の力の差が生じた理由はいくつもあることを、そ
の本は教えてくれた。

自分なりの答えを見出す

 人は「なぜ?」「どうして?」と問う動物である。原因や理由をしりたくてな
らない。学問はそうした疑問から生まれた。日常的なことでも、わからなか
った問いに答えが見出せたときの喜びは大きい。さらなる疑問に立ち向か
いたくなる。
 しかし世の中には、いくら追究しても答えを見出せそうにない問いがある。
「なぜあの父母のもとに自分は生まれたのか?」「どうして女(男)に生まれ
たのか?」「結婚することになる相手と、あのときなぜ出会ったのか?」
「なにゆえに幼な子のまま死ななければならなかったのか?」・・・・
 生や死については、不可解なことだらけだ。さまざまな「出会い」について
も、原因や理由はよくわからない。
 どうしてもわからないことは、そのまま受けとめるしかない。だがまた、正
解かどうかは別として、自分なりの答えを見出すことに意味がある問いとい
うものがある。

新世言

  精神科医の神谷美恵子さん(1914〜1979)が医学生の頃、「らい
病」と呼ばれていたハンセン病患者の施設「国立療養所長島愛生園」に
しばらく滞在した。当時はこの病気の治療法がなく、二千人の患者を収
容する施設では、毎日のように誰かが死んだ。そのとき彼女が創作した
「らいの人に」という詩の一節にこうある。
  運命とすれすれに生きているあなたよ ・ のがれようとて放さぬ そ
  の鉄の手に ・ 朝も昼も夜もつかまえられて ・ 十年、二十年、と                
  生きてきたあなたよ
  なぜ私たちでなくてあなたが? ・ あなたは代ってくださったのだ
  ・  代って人としてあらゆるものを奪われ ・ 地獄の責苦を悩み
  ぬいてくださったのだ
  ゆるして下さい らいのひとよ ・ 浅く、かろく、生の海の面に浮か
  びただよい ・ そこはかとなく 神だの霊魂だのと ・ きこえよいこ
  とばをあやつる私たちを
 未熟な作品だと神谷さんは謙遜しておられたが、「なぜ私たちでなくて
あなたが?」の問いは実に重い。神谷さんはその問いに自分なりの答え
を見出した。見出したからこそ、この詩が生まれた。そしてその答えが、
医師として生きる神谷さんの原点となった。
 もはや変えようのない境遇は、宿命として受けとめるほかない。答えが
見つからない問いに、いつまでも悩まされなくてもよい。しかし人生に対
する問いの中には、いつか自分なりの答えを見出せるものもある。この
人生を深く生きたければ、大事に持ちつつけたい問いがあることを知って
おきたい。
 自分にとって意味のある答えが見出せたとき、運命が大きく拓けるだ
ろう。宿命と運命とは違う。未来に展開していく運命の主人公は、ほかな
らぬ自分自身なのである。 

新世言

        「どうせ」を使うなかれ

                      倫理研究所理事長  丸山 敏秋

 小学校教諭の若いSさんは、授業参観のあとで、保護者の一人から手
紙を受け取った。そこには丁寧な文体で、授業がとても活気があり、生徒
たちの態度がよかったと褒めてある。喜んだSさんだが、末尾に加えられ
ていた要望にギクリとした。
 「一つだけお願いがあります。先生は授業中、「「どうせ」」という言葉を
ニ、三回使っておられました。わが家ではこの言葉を子供たちへの禁句
としております。どうかその点、今後はご配慮いただきたく存じます」
 Sさんはすぐに文意が呑み込めず、考え込んだ。−−たしかに「どうせ」
という言葉を使ったかもしれない。「どうせ声に出すのだから、元気よくね」
とか。でも、それがなぜいけないのだろう?
 図書館に行き、いちばん大きな国語辞典を引いてみた。すると「どうせ」
には、1「いずれにしても」「どのようにしても」という意味のほかに、次の
ような意味もあると書いてあった。
 2「好ましくない行為、状態、判断などが、こちらの希望や意思に反して
成り立ってしまうことへの、あきらめ、またはふてくされた気持ちを表す」
(日本国語大辞典)
 この消極的・否定的な意味の「どうせ」を、授業中に使った覚えはない。
しかし、1の「どうせ」をよく口にしていると、気つかないうちに 2、の「ど
うせ」も使ってしまうのかもしれない。そういえば「どうせ自分はダメだろ
う」とか「どうせ生徒に話してもわからないな」とか思うことがよくある・・。
 そう気ついたSさんは、手紙の主に感謝の礼状を書いた。そして「どう
せ」の言葉を使わないようにし、頭の中からも消すように努めたところ、
心の落ち着きや積極性が増していくのを感じるようになったという。





 
未来は可能性に満ちている
 
 言葉の持つ力については、これまd 



 

まず家庭から


  
          まず家庭から
            
                     倫理研究所理事長  丸山 敏秋

 日本の子供はある日突然、大人になる。幕末から明治に来日した外国人た
ちは、その様子に驚いたという。
 15歳になると、武士の男の子は元服の式に臨む。町人の子供も大人の扱
いを受けるようになる。女の子の15歳は簪年(けいねん)とも呼ばれた。髪を
結って簪(かんざし)を差す年頃だからだ。四民平等の明治になっても、そうし
た風習はきえなかった。
 ある日を境に大きく変わることを、日本人は好んできた。今でも残っている
典型的な風習は、お正月であろう。先祖の御霊(みたま)を迎えるために大
掃除をして、松竹を立て、戸口を飾る。特別のご馳走を用意する。大晦日(お
おみそか)までバタバタしていたのに、除夜の鐘を聞くと厳かな気持ちになる。
 元旦の朝は空気から違う。清新な、晴れやかな気持ちで、互いに年賀のあ
いさつを交わし、神仏に詣でる。一年の計を立てる。特別な日をふるさとで迎
えたいと急ぐ人もなんと多いことか。この心床しき風習が、形骸化(けいがい
か)せずに伝えられてほしいと願う。
 ふり返ると、昨年は暑い夏だった。日本が壊れかけていると思う事件が頻
発した。政治や経済の面ばかりではない。たとえば幼児虐待である。あるい
は「消えた老人」である。そうした出来事を特殊なケースと見るだけでよいの
だろうか。
 家族の荒廃、家庭の崩壊が広がりつつあるには事実だ。たとえ核家族で
あっても、親子夫婦の間に愛情にもとつ”く確かな絆(きずな)があったら、
悲惨な結末にまで至らないだろう。
 もちろん家族の間でも、諍(いさか)いは起きるし、反目し合うこt5おもある。
波風の立たない家庭などまずない。しかしトラブルや揉(も)め事を修復し、
破壊にまで至らせない力が、健全な家庭には備わっている。
 その力、つまり愛情や絆を、「煩わしい」とか「面倒だ」と否定的に思わせ
てしまう風潮が今の日本にはある。現に「育児も介護も社会にお任せ」と
いうムードが広がっている。さらには、家族そのものを破壊してしまおうと
する動きもある。
  
相手の身になる。
 
 他者との絆を欠いても、なんとか生きてはいけるだろう。だが、そんな人
生に喜びや生きがいを見出せるだろうか。余計なお世話だと言うなかれ。
誰もが心の底ではたしかな絆を求めている。
 では、絆の
涵養(かんよう)に不可欠なのは何か。・・・・それは、相手を
思いやる力である。あえて「力」と言いたい。なぜなら思いやりは、生まれ
てから後にはぐくまれる能力だからだ。思いやられてこそ、思いやる力が
芽生え、育つ。思いやるとは、相手の身になって感じ考えることにほかな
らない。
 昨年九月に岡山市で木村秋則さんとお目にかかった。<奇跡のリンゴ>
で知られる青森の木村さんは、絶対に不可能とされてきた無農薬・無肥
料でのリンゴ栽培に成功した人だ。リンゴばかりでなく、米や野菜の自然
栽培の指導でも、全国を飛び回っておられる。
 お話を聴いて合点した。木村さんの自然栽培の鍵は、相手の身になるこ
とにあったのだ。リンゴ栽培ならば、ひたすらリンゴの木と向き合い、リンゴ
の身になって考えながら、工夫を重ねてきたという。主役はリンゴの木だあ
る。人間は手伝うことしかできない。
 稲の身になれば、田んぼの代掻き(水を入れて土を砕いてかきならす作
業)をやり過ぎないようにと稲から教えてもらえる。いつまでも濡れたシャツ
を着るのは誰だって嫌だろう。だから田の土もできるだけ乾かした方がい
いと気つ”く。そのように実行して、立派な自然栽培を木村さんは為し遂げ
てきた。
 相手の身になるコツは、自分をできるだけ空にすることだ。それがいつし
か現代人には難しくなってしまった。
 ならば修練を積んでいくしかない。「わがまま」を捨てる純粋倫理の実践
は、最適な修練になる。
 日本の破壊を食い止めるには、まず家庭からだ。家族が互いの身にな
って考え、行動し、絆を太くしていこう。その実践効果は、かならず周囲に
も及んでいく。
 ひとつ清新な元旦の気持ちを思い起こし、家庭をよいよくすることを一年
の計に加えようではないか。

                     新世一月号  理事長・ 丸山 敏秋












幸福をより確かなものに 

 本誌の発行元である社団法人倫理研究所は、「純粋倫理」となずける生活の法則を実践し、日常的な諸問題を解決しながら、家庭や企業を健全にしていく生涯学習活動を展開している。その広がりが地域を日本をろりろくしていくことから、積極的な普及活動も行なってきた。会員組織としては「家庭倫理の会」と「倫理法人会」のほか、書道と短歌の結社(秋津書道会・しきなみ短歌会)がある。
 「純粋倫理をぜひ知ってください。一緒に学び、活動しませんか」−−そう呼びかけても、即座に応じて入会してくれる人はまずいない。「え、倫理ですか。なんだか窮屈だイヤだな」とか「倫理って、宗教の一種でそう?」とか、反応はいろいろだが、おおむね煙たがられてすまう。
 無理もない。倫理とか道徳に対しては『堅苦しい』『自由を制限される』と、マイナスイメージを抱いてる人が大半だからだ。
 世の中の秩序を保つために倫理・道徳が必要だと知ってはいても、自分のことになると反発したり、なんとなく
気恥ずかしくなる傾向が現代人には強い。「法律が整備されているのだから、倫理だ道徳だとやかましく言わなくてもいい」という思いもあるだろう。
 しかし、よく考えてみてほしい。共同体の秩序を維持するベースとなるのは、倫理道徳である。その上に必要な法律が定められるのであって、逆ではない。「困っている人に親切にせよ」という法律があるだろうか。親切にするのわ「人のみち」たる道徳の領分なのだから、あえてそれを法律化する必要はない。
 自分の行動が正しいかどうかを、いちいち法律に照らして判断していたら、大変なことになってしまう。いつも重い「六法全書」を携帯して目を通さなければならない。「法に触れなければ何をやってもいい」という歪んだ考えも蔓延るだろう。どんどん法律が増えていくような社会は、けっして健全とはいえない。 
 
 深くて広い人のみち

 
わたしどもが唱道している純粋倫理は、世の良識とされている倫理・道徳から逸脱するものではないが、それを含み超えた深さや広がりを有している。深いのは、行為する人(自分)の心のありようを重視するからだ。喜びや感謝は、深くなればなるほど、好ましい結果をもたらす。不満や憎しみは逆の結果となる。心の領域はまことに深く、計り知れない。
 純粋りんりが広いのは、倫理の対象が人だけでなく、物や自然や亡き人にまで及ぶからだ。たとえば、挨拶はふつう他人に対して行なう日常礼儀である。それを人だけでなく、ふだん使っている道具や車や金銭にまだ及ぼしてみてはどうか。さらに心を込めて行なうと、確実に何かが変わってくる。
 そうした深さや広がりをもつ生活法則は、人としてお互いに踏み行ないたい筋道であるから、やはり倫理なのだ。人生は好転する。踏み外せば、悪化していく。「倫」(人々、仲間)の「理」(ことわり、筋道)は厳然として存在するのである(生活法則を標語化した十七ヵ条は本誌108頁を参照)
 「いやいや、わたくしはとくに苦難もなく幸せな暮らしてますから、倫理なんて必要ありませんよ」と言う人もいる。実はそういう人にこそ純粋倫理をしっかり学んでほしいのだ。幸福に暮らしている人は、生活法則に対する知識や自覚が乏しいと、思わぬ苦難に見舞われたときに困惑し、泥沼に引き込まれかねない。今の幸福をより確かなものにしていくためにも、純粋倫理をしっかり学んでいただきたい。
 航海に羅針盤は欠かせない。純粋倫理は、荒波のたえない人生行路を軌道修正してくれる、頼もしい羅針盤なのである。

                    倫理研究所理事長  丸山 敏秋  
                                                                                                                                                      

おはよう倫理塾実践報告

 車ばかり乗っていた私が早朝より爽快に自転車に乗りおはよう倫理塾に通い
見る目が変わり、世界が変わった。K.S

病気をきっかけに、体力ずくりの為ジョギングをはじめ、行きかう方と明るくあいさつして
朝から気持ちがいい。S.T

マンション管理のお仕事で住民の方やご近所の方と気持ちよくあいさつができ、周りの草木にも語りかけ充実した今日この頃です。T.T、M.T

雅号 「喜水」が好き 喜んで、汚いものを洗い流し、水のようにどんな器にも合わせられる私になりたい。N.S

その他にも、心打たれる実践報告が、毎日あります。

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